母親だけの昼間

小学校に入学する時点

育てるためにはまず他の人から十分
この間だって、なによ……
なんだかうっとうしい顔をしている。
かるわよ。うっとうしいときにはねえ、うっとうしいことがあったんだナ。
言わなくとも見りゃわうっとうしい!

そう、お母さん。
今日はいやになっちゃつたもう、つくづく気持ちが誘われてことばになりそうお、ふーん
とうなずけば「だってねえ。川崎さんや足立さん、どうなってしまったの。
ええ?
私に対してねえ。
違うのよ。
と、これは親に言うより自分に言っている。
r違う……?ふーん」
と深くうなずいてもらうとおかしいのよ
と子どもは自分で深く確かめる。
おかしいの、そう
これら親のことばはいちいち口に出さずとも、黙っておなかの中で対応してやってもいい。

「そういうことも思うのね。姉は立場としてそんな損な面もある。よく言ってくれたわ。
そういうことだわねぇ。
わかる。
わかった」
いいのよお母さん

わかってくれたら、という気持ちの受け答えが、時に必要なのですね。
友だちとうまくやっていけないなんとなく行きづらくなって、学校を休んでしまっているのだという、次は、談例です。
中三の女の子の相宮野由佳子、十五歳。
私のところの相談は、子ども当人よりも、まず親に来てもらうのが普通です親が問題の状況をどう捉えているかを、親から聞かせてもらうと、ほぼ子どもの問題の輪郭がっかめるというものです。
からね。
親の話し方で親の子への対し方のパターンもあらまし把握できるわけですさてこの母親の話を聞いていると、娘がどうして学校に行きづらくなったのかという肝心の点をそうもあまり問題にしていないように思えました。
行こうとしなくなったのがとにかく困るのだ、という親のほうの気持ちだけがあふれています。
タレントのキャスティング会社に応募する。

成長の糧になるものがあったはず

なぜ行かないのか、行きたくないのか、行けないのかというところを、どう捉えているのですかを尋ねても、親は、とにもかくにも、
子どもにいくら問うても、それを言ってくれないのだから、わかりようもないと言うばかりです。
私は、頭でわかろうとしないで、心でわかろうと努めなさいよ、と解説します親の相談は、私の場合は、カウンセリングというよりもコンサルタントといったほうがいい。
親から聞く
よりもまず親に
聞いてもらうのが大事、という面が強いのです。
親にまず言ってくれないからわからないと迫るよりも、逆に言わなくとも見りゃわかる
というところから、子どもを洞察する……わかってやるということをはじめなさいよ、と私は親としての大事なポイントを解説しますこれは多くの親にとって目新しい説明のようです。

子供たちも黙って一瞬静まり返った。


子どもですか?

言ってくれないからわからないと親が子をなじるとき、なにがわからない
と言っているの
つまり問題状況にかというと、問題の状況、そのいきさつ、誰が悪いのか、といったところです。
ついての知識を求めていてそれらがわからないと嘆いているわけです。
それに対して、まず言わなくったって、おまえの様子を見りゃわかると言ってやるべきだと私は強調するのですが、それはつまり、なんだかトラブルがあったようだ、それ故にそんなうつとうしい様子になっているのだろう、その大変な気持ちが、おまえの言動でとにもかくにもよくわかるといったところ。つまり問題の大変さが推測できる、と受け止めてやるわけです。
前者は情勢を探りたいのであって、後者は情緒を受け止めるのです。その違いはとても大きいのです。
「言ってくれなきゃなんにもわからないじゃないのよ。ねえ、どうしたの?言って」
いいよ、母さんに言ったって仕方がないんだから。ほっといて
と子どもに返されると「へえ、そう。
いつも母さんは余計なお世話ばっかりしてんだもんね」
と親はたちまちすねてしまうものだから、子もつい険しくなって、
そうよ。
教育をやめようというのではありません。

いじめをしたりというように悪いことをする

この間だって、なによ……
なんだかうっとうしい顔をしている。
かるわよ。うっとうしいときにはねえ、うっとうしいことがあったんだナ。
言わなくとも見りゃわうっとうしい!

そう、お母さん。
今日はいやになっちゃつたもう、つくづく気持ちが誘われてことばになりそうお、ふーん
とうなずけば「だってねえ。川崎さんや足立さん、どうなってしまったの。
ええ?
私に対してねえ。
違うのよ。
と、これは親に言うより自分に言っている。
r違う……?ふーん」
と深くうなずいてもらうとおかしいのよ
と子どもは自分で深く確かめる。
おかしいの、そう
これら親のことばはいちいち口に出さずとも、黙っておなかの中で対応してやってもいい。

母親の援助


母さんは明日の朝までに死んでしまうのではない
どんな気持ちで対応してやっているかは、口で返答してやらずとも、親の態度に表われるもので、受け止めてくれているという安心から、子どもは知らず知らずのうちに子ども自身の内省を深める方向に向いてくのです。
すると気持ちが奥の奥から動きはじめます。無意識のうちに、知らず知らず、気がついたらすでにもう話してしまっていた、というような、自然なことばの表出がしやすいように配慮することが大切だとつくづく思います。子ども自身から、いわば自然の発露といった無意識の心の動きで表出されるものは、とにもかくにも生きた状況なのですね聞いた以上は、さてどうしてやろうこうしてやろうではなく、また、こう導こうああ教えようでもなくて、ともかく、うーん、ふんふん、そうー、なるほど、と聞いてやる。
母さんにはわ

子供に与えなければならない

自分の問題にやが自分のことばで事態のあらましを紡ぎ出していく過程でこそ、ていろいろと気づきはじめるのですからね子ども自身が、ア、こうも考えられるのかナ、とかね友だちは自然発生的にできるもの聞いてやるということは、一緒に問題を考え、効果的な解決策をこちらがいろいろと提案してや
るということでないのですね。ここのところの間違いは、私なども過去に数え切れぬほど覚えがあるところです。よかれと思って、それじゃあ、こうしてみたら?ああしてみたら?と誘いかけるのを、問題に困り抜いている当人も、その場ではずいぶん期待もし、頼りにもしてくれるのですが、往々にして、実際にそのとおりにはできないので、手も足も出せないというよりもむしろ、もっと意識過剰状態へ追い込んでしまいがちです。