大学だけは行かせてあげたいんだまず

子どもをはめ込ん

なんだかんだと問われても、絶対に答えないぞと決心してきたのに、ここはなにも問わないところですから、勘が狂ってしまったほほえ少女はそう言って、ほっと微笑む私は
君に大切な、大事なことばを教えてあげようと、前置きして言いました。
「中国の古いことばに事を憎んで人を憎まずというのがあるこれはつまり、どういうことかというと、その人のやっていることはどう考えてもよくはない。
だのに、人そのものがよくないのではなくて、やっていることがよくない。
君のやってきた体験は決して誰にも話せるものではない。
子供の質問にどんな答え方をする

母親とスキンシップが不足してい

子どもはいつも親の姿を目で追っています。

子供との接触が多いだのに、それを体験してきて今ここにこの意味がわかるもわからぬもなく……」
つぶや私のあとを遮って、恭子は呟いた。
事を憎んで、人を憎まずと。
何度も何度も繰り返し呟いたのです。
そして、こんなにも鋭いことばが返ってきました。
「うちの父さん母さんは、事を憎むなら、それをした人を徹底的に憎め私はそれを受けてです」
「無理して自分にそう思い込ませなければならないのが、やりきれない私が解放するのでなくて、辛すぎる。
任せといて。
私がそういう金縛りから、お二人を解放させてあげる。
んにご自身を解放させやすくしてあげる」
お父さんお母さまっすぐ私を見つめながら、
ここに来てよかった!

子どもの気持を汲んだものではない

子どもにどのような努力をして
少女はと呟いて、安心した笑いを見せてくれた私はそれを受けて
この仕事をしていて、よかったと呟き、二人一緒に笑いました。
思春期は、通過点ですね恭子の両親は、恭子がどんなにいけないことをしているかをわからせようと懸命だった。
そこからは、親子の心の通いあいは、ついに生まれるものではなかったのです。
自分の世界に安住する親への不信「いったいどういう気なんだ?
そんな男とつきあって!
気でもおかしくなったのか」
まとう相手の男ではなく、自分の娘までを、まるでけがらわしいものを見るような目つきで罵倒する父
どうしてこんな子になってしまったの?
と天を仰いで嘆きわめくといった調子の、悲嘆にくれておいおいと泣き崩れる母親。
娘は、あー、この人たちの正体がすっかりわかってしまった!と、心が冷えこわばってしまっている。
怒り狂い、嘆き悲しむ親の動転を見れば、くはず……と、父母は思っているのですね。
もない娘は自分のしたことがどれだけひどい間違いかに気づところが娘は、そんなふうに考えたりしないとんでそんな悔恨の思いに追いやられているどころか、高揚しきっている!
子供が生まれたらその子をどういう人間

子ども部屋を与えただけ

育てられることが多い
むしろまったく反対の気負い立った憤激に心はけつべつこの父や母にむしろ訣別するしかないとなんと言おうと、きれいごとでチャラチャラして、互いに本音など見せあったことのない世界だけが、世の中のすべてだと、この人たちは、結局そう思い込んでいるだけにすぎないのだわ!などと、親の暮らしへの徹底的な非難
男女の喜びというものを、あんたたち、ちゃんと知っているの?知らないのよ。知らないで私を生んだのに違いないわ。家と家とのお見合い!これまでのあんたたちのおつきあいなんて、なにもかも、うわべだけのきれいごと。

教育に限って考えることにするがさきの私案

子供にしてあげているわけではありません。
自分たちだけしか生きていないとでも思っているのでしょ親はつい、子どもに見せるべきもの、見せるべきではないものを区別·識別して、見せたくないものは遠くへ追いやっているつもりなのですが、思春期になると、なんでもかんでもに目や心が動かされ、親の隠しておきたいことなど頓着なく見てしまう。見えてしまう。
とんじゃく一度悪いことをやったらもう悪い子になったのだと決めつけてしまわないで、体験してみたからこそ、それがどんなにつまらぬものかが味わえたはず、しっかりわかったでしょうと、子どもの感覚の素直さ、健康さを微塵も疑わないだけの度量というものをこそ、子どもたちは、大人に期待しているのではないでしょうか。
みじん親もまた親なりに、自分の思春期の不安やうろたえを越えて、今ある形のものにようやくおさ
まってきているのだということが、てきてこそなのですね子どもにわかるには、子ども自身が子どもなりの体験をくぐっ川添恭子の親は、安心しきっていた娘が、なぜか帰宅が遅くなった頃に、その頃にこそ、の思春期の不安定さに、気づいてやっていることが大切だったのだと思います。
子どもたち自身の頭手体心を使わせて

母と姉が猫がきらいで家で飼えなかったことである。

何時だと思うの?どこへ行ってたの?どこでなにをしてたのよ!
この子せっかちに問い詰める母親の脇を、風が通るようにすり抜けて自分の部屋へこもる。
こういうとき、むしろ、なんだか口にしがたい気持ちがありそうと気づいてやり、問い詰め一切なしに、伸びやかに「あ、お帰り。元気な顔でほっとした。お帰りなさい。いつもよりだいぶん遅いから、事故にでもあってたら大変だと心配だった。なんにもなくて、よかった。ご飯、温め直す。ちょっと待っててね。できたら呼ぶからね」
とでも、忙しく体を動かしながら言ってくれる母親の態度が、たせるのですね。
子どもにほっとした思いを湧き立明るく迎え入れても、当人はなんだか浮かぬ顔と我に返るという様子が見えない。
家へ帰ってきて、親きょうだいの顔を見てほっどこかよそへ心はさまよっているままというような表情や態度ちょっとこれ。おまえも手伝ってと自分の手元を見て手は休まず動かしながら、空豆いっぱいのざるを押しやり、ぼうっと隣に座った娘にだけ聞かせる声で、
なんだか心にいろいろある様子。なにをどう言うべきかわからないときは、なにも言えないものなのよねえ。

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