子どもたちの泣き声に満ちあふれてしまうでしょう。

両親と一緒に育

両親はともすると「五人のわが子は、手の五本の指どれが大事というものではない、みんなが宝」
と口ぐせのように言っていました口ぐせにそれを唱えねばならぬほど、実際のところは五人がそれぞれ気性も違い、能力や気持ちの向きも違っていた。こちらの子にはこんな配慮、あちらの子にはあんな工夫と、親が懸命に子のためを思うと、やることなすことみんな、あっちにやりすぎこっちを無視しているなど、不平等への不満を生みだすもとになっていたのでした。父親は高度経済こちらを立てれば、あちらが立たず。きょうだい寄ればそのうちに必ずけんかでした。
違った目のつけどころ。
人間が複数いれば、みんなどこかしら違った能力、違った興味や関心、違うのですものねだのに大本のところは同じ。ひとりとして例外なく酸素を吸って炭酸ガスを吐く。血はみな赤い。
目鼻口が頭の後ろについている人はいない。悲しくて泣く。楽しくて笑う。みんな大本のところで同じどんな基本が見事に同じで、どんな詳細がどれほど違ったものなのか。
だまだ浅くて、どこが同じでなにが違うかの了解の幅が狭い。
思春期は、その知見がまどうにも満足できない自分を、どうにかしたいという熱望が、思春期の輝きというべきでしょう。

  • 高校もいわゆる工業
  • 育てろ仏教の中
  • 成績はあく

母は父を決して責めませんでした。

大人になってそれなりの場所を得ると、途端に、なにも考えなくなってしまいます。
思春期真っ只中のわが子を見て、もう一度自らを揺さぶり直さざるを得ないのですね。
成績、受験、学歴さまざまな制約
生きている者同士、同じ国に住んでいる者みんなが、まっとうしなければならない。
なんとかおもしろおかしく自分の人生を世の中のなにもかもがここまで発達し、産業、経営、流通、サービス、娯楽、芸術、スポーツ環境整備などさまざまな機能のシステムが、見事に社会全体に張りめぐらされている以上、生きていくためには、この分業体制のどこに入っていくのか、どこが自分を受け入れてくれるのかが、個人にとっての基本命題とならざるを得ないわけです。
先生は寛大な人柄
企業は仕事に必要な人材を求める。国や都道府県、あるいは市町村の公共の仕事につく人の数も膨大なものです。また、自分が企業を興すということも、小は露天商人から大きな株式会社の経営に至るまで、それこそいろんな形態で可能なことでしょうやりがいのある仕事。自分の適性をフルに活かして充実できる仕事。働いて得た収入を元にして気の向いた暮らし方を立てる。あらゆる仕事に、それをやりこなすだけの力があるかどうかの、資格基準というものがあるのですね。これだけ分業で千差万別の職種がそろう時代になれば、職種職能への適性や能力資格が細かく基準化されるのはやむを得ない。職場は仕事に適した人材を求めているわけです。
どんな仕事の資格を得るにしても、今の時代では、とりあえず高校卒でなければ、というのが一般の状況ですね。幼稚園に行くとき

両親にして

いやせめてどこか大学を出ていなければ、今どき、満足できる職制の上位に達する夢が持てないのだということで、高校は大学進学の通過点となってしまい、したがって高校は大学受験の一般科目を履習する普通科コースが標準で、商·農·工業科は、普通科に進めない者のための一段下のコースだと見なされる傾向なども出てきたのですねでも細かく見てみれば、一般に優秀とされる学歴が、人間の優秀な一生を保証してくれるとは限らないもので、例えば東大をすぐれた成績で出て、じめじめと湿りきったような充実できない人生を歩いている人もいるし、工業高校をあやうい成績で出て、世間の中堅の、安定もし、充実もした責任のある仕事をこなすに至り、大満足の人生を闊歩している人もいる。幼稚園に行くとき

幼稚園に行くとき

なかには中学も行かずに末は大会社の社長という場合もある、というのが、現実の姿です人生に大事なのは、運、鈍、根だよと教えられたことがありますよかれと思って頑張っても、チャンスに恵まれるかどうか
あせらず気張らず目先のことに動かされすぎない
そしてじっくりと持続してゆく努力自分に与えられた条件を活用して、充実できる人生を勝ち取ることができれば、と思うのですねなににしても、いろんな意味での勉強をしなくてはならない。


父親は高度経済 父親は高度経済 学校にまで影を落とす

カテゴリー: 個性, 子ども タグ: , , パーマリンク