子供の質問にどんな答え方をする

学校や事務所の部屋のドアのあけたて

あれもあり、これもあるとりあえずどれをとるのかが、各個人の都合とか判断にゆだねられているわけです
未成年のうちから親になるというのが珍しくなくなっていて、どの高校も、生徒のための保育所がある時代になっていると聞かされ、わが国とは大変な違いだと、それには驚いてしまいました。
子どもたちが集まったとき、平均的にその半数以上が、実父母のそろった家庭ではないとのこと。
離婚がごく当たり前の風潮で、よそへ里子にやられたり、母違い、父違いの何種類かのきょうだいというのも珍しくない。別れた親とはときどき会い、片親と暮らす家庭など、もはや変則とはいえない、というのです。母さんが長い時間そういうのを聞かされると、私なんかもう古いのかと気になってしまいますが、なんといっても人間の情緒が安定するのは、両親との安心した家庭生活においてこそだという思いに、今なおいささかも変化はないいや、アメリカのそんな風潮に、わが国も少しはなびいていく気配を感じるために、とるほど、いよいよそれが自然だと思われてならないのです。
年をとれば今、わが国でも、平和がこうして一応形の上で続いた結果、お互いの気遣いが内にこもったため現代は、神経症の時代といわれるようになっています。
安心して気を抜くということができなくなることが、つまり神経症の第一の基本でしてねえ。人の歪んだ成り行き間関係の安定度の問題なのです。
犯罪の数も質も桁の違う多さであるアメリカと比べると、そうはいっても、日本はまだまだ人心地のつく温和な人間性の保たれている社会なのだと思います。わが国のあり方で、他の国が参考とすべき点が、いろいろありそうに思うくらいに大事なポイントを忘れてはならじと考えるのです。
なににしても、思春期の間にこそ、人は、男と女のあり方がどうであるのが自分にとっていちばん納得できるのかを、およそのパターンとしてそれぞれの心の内に形成する。

  • 子供の精神
  • 子どもたち自身が工夫をしなければならない
  • 教育を受けたのは戦前のことです。

小学校にはいろいろ

その際にもっとも影響を受けるのは、両親のあり方なのですね。
親たちの形がもっとも好ましい。あるいは、結局はああいう形なのだろうという自然な落ち着き。
あるいは逆に、ああいう夫婦にだけはなりたくないという反面教師としての影響の与え方ろいろあると思うのですが、発想の原点として、いいも悪いも、やはり親たちの実際の姿が参考になってしまいますこの五十年、百年は、時代の過渡期と見なければならないと思います。昔からの、親たちにしっらえられた結婚とか、そのときの好きという感情だけで早まった結婚とか、仕事や経済の立場として都合で一緒になったとか、なにも深く考えるきっかけなどなしに闇雲に同棲をはじめての成り行きとか、それをそのまま自覚も覚悟もなくずるずると続けていて、やがて育ってきたわが子に、みっともない、ぶざまだ、なんで一緒に暮らしているのか意味がわからない、不潔、いやらしいと考えられてしまうような夫婦が、まだまだ多いのは確かなのです。
しつけはうまくいきません。
どうせいそんな男女ならいっそ夫婦別れしてやったほうが、は、よくわかるようにも思うのです。
子どもたちにとってもまだましだ、というのでも、だからといって、離婚もまたひとつの生き方と肯定する世相というのは、っすっきりした思いがそこからは湧いてきがたい私など、もひと離婚はやはりできるなら避けるべきだし、避ける以上は、男と女が歩み寄る工夫、共に生きることの充実を、わが子に感じとってもらうなんらかの工夫を積み重ねなければならない。子どもに対して素直であって欲しいと願うでしょう。

父親なのである

結婚とは、つまりそういう努力の対象なのだという思いが自然に実る社会であることが、やはり大切なのだと思われてなりません私には
は、人から人へ心をこめてものを受け渡しすることなのだ、というのが、私の
というものについての基本の捉え方です。
を知りはじめる思春期とは、
守る時期なのですね一生のうちでもっとも厳しくそして鋭く大人を見守る、親を見

学校生活と思春期

担任の先生とどうも合わないいわゆる不登校になってしまっている子の親からの相談で、どうも担任の先生がうちの子と合わないのです
というのが、この頃珍しくなくなりました。
いろいろいきさつがあって、私のほうで実際にその担任の先生にお会いする運びになるケースも結構あります。子どもに対して素直であって欲しいと願うでしょう。

子どもに対して素直であって欲しいと願うでしょう。

合わないというのはどういう先生なのかを、私自身が私なりに確認させていただくことになるわけですが、率直にいって、教員の側に、特別なまでのこだわりや狭さやかたくなさがあって、明らかに教員一般の質において適性を欠いているというまでの問題がある例は、まずないのです子どもの気持ちの向きと教員の心の置きどころとに、ズレが生じるというか……。
要するに、合わない!
合う、合わないのレベルで、学校とか学級を、児童なり生徒なりが自由に選択するようにはなってはいないのが、わが国の義務教育の現状ですねうちの子は担任の先生と合わないものでと言ってこられる親御さんに私はつい、「合わないから学校に行かない、というのだと、担任というのは、もともと生徒であるあなたの息子さんが、お見合いでもしてこの先生がよいと決めるような話ではありませんか。まあはっきり言えば、先生って、当てがいぶちですからね。生徒の意向で決めるものじゃない。合う合わないで行くとか行かないとかになるのは、それは変ですよ」
というような話からはじめざるを得ない。


母さんが長い時間 声楽学校に通ってみる 子供が生まれたらその子をどういう人間

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